花喰らい



ぐしゃり。  ぼくのてのなかでいっぴきのちょうがしんだ。



午後の授業は酷くつまらない。淡々と進む授業は白紙に赤いインクを落としたような異様さがあって吐き気がする。教師の後姿、黙々とシャープペンシルを走らせる生徒たち。いつもと変わらぬ風景に嫌気が差す。何故今日はこんなにイラつくのか、自分でも分からなかった。
自分の座っている席から窓の外を眺めると、ちょうど金木犀の木が見える。撓る枝からは小さいオレンジ色の花が無数に咲いていた。その芳香は銀木犀よりも強く甘美なもので、慎ましやかに咲いている花を愛しいと思った。
ふと、最近夢見るのはあの愛らしい花弁を口に運ぶ、自分の姿。(花喰い、とはよく云ったものだな。)強い芳香はくちの中で広がり、舌の上で媚薬ともいえる香りを出す。咽を滑り落ちていくその感触を、今も思い出すことが出来る。懐かしいような、哀しい味。夢に見るのに実際くちに運ぶのは躊躇われる。何故かな、と、誰に聞くのも叶わずに。あのまま花喰いになれたらいいのに。
(花を喰らい蝶を嬲る。その命、花に喰らわれたる、と)

目を閉じて、再び開けると違った世界が広がっていればいいのに、なんて思ったりして、くだらないな、と自嘲した。目を開けてもそこにはいつもの日常が広がっていて、自分の目の前には白紙のノートと転がったシャープペンシル。教師の後姿、生徒の後姿。
変わらない、変わらない。


ひらりひらりと横切るものが在った。焦点を合わせしっかり見ると、淡い黄色の小さな蝶。儚げで、不安定で、美しい。幼さも表している様な蝶だと思った。しずかに手を伸ばすとそっと指先に触れた。翅を休め呼吸をするかのように、静かに揺れる。哀しいものの姿のようだと思った。

ぐしゃり。

いつの間にやら握りつぶしていた。千切れた翅、はみ出る汚れ(汚れと云うには、美しすぎる気がするけれど)、いのちが散った。
大した感情も生まれぬまま、潰した蝶を窓の外へ捨てた。此処は一階だから窓の外へ体をよせれば死骸が眼に入る。それがいい。ふ、と小さく笑んで瞼を閉じた。目を開けば先程と変わらない世界が続いている。
変わらない、変わらない。

開いた目の先には金木犀の無数の花。聞こえるのはくだらない教えの終わり。小さな命が散っても変わらない世界。虚しさを覚えるのもくだらない。終わるのは、誰も皆同じだから。


何故だか、無性にあの花弁を喰らいたいと思った。